寿永元年(1182年)に近江国観音城主佐々木( 左衛門尉 )定綱が軍功により高倉院から、巨勢金岡筆の八幡大神の画幅を賜わり、守神として代々奉斎した。その子孫が建武 3 年(1336 年)穴門( 穴斗 )郷を領するに至って、長門守経貞が菖蒲城出城民衆の氏神とし当社を創建。その後永正 11 年(1514年)現御神体に改め、元禄 11 年(1698年)に亀石八 幡宮と改称。明和元年(1764 年)に現御本殿を改築。(※当時、現御本殿は 1 本の大きな欅の木を木取りして建立されたことから「1本欅の宮」と称された。)明治 42 年、鎮護神社他 19 社を合祀し、その後 11 社を加え現在 30 社が合祀神社として御相殿に鎮祀される。合祀神社の中には、病気平癒の神として知られている少名毘古那神を奉斎してある神社もあり、当病平癒の御神徳高い宮とされる。昭和 11 年、神饌幣帛料供進神社に指定。
このあたりは備中神楽発祥の地として有名ですが、古くは中生代三畳紀後期、約2億3千万年前の日本最古の植物化石が多く産出しており、古代ユーラシア大陸沿岸にあって日本で最初の森が発達した場所といわれております。また世界で初めて発見された新鉱物(備中石、布賀石、草地鉱、パラシベリア石など)や、インヨー石、ザレシ石などの日本新産鉱物も数多く発見されており、超古代史ロマンの溢れる場所でもあります。
古い御神幸先の山中には〝亀石〟と名のつく円形の岩があり、古代祭祀が行なわれていた磐座かと思われます。